この數年で、ガラッと変わった京都の風景。四條通もずいぶん様変わりした。數年も京都にご無沙汰している人が再訪したなら、その変わりように驚くのではないだろうか。なによりも四條通の景色を一変させたのは「世紀の愚策」とまで言われた京都市の「英斷」である。

在過去的幾年中,京都的景色發生了巨大變化,四條大街也改變了很多。幾年沒來過京都的人再訪京都會驚訝於它的變化。最重要的是,四條大街的景色全然大變可以説是京都“英明”的“世紀愚蠢決策”。

そもそものきっかけは京都の名物である交通渋滯だった。長年の課題であったこの問題を解決するために、この街の交通のあり方そのものの抜本的な改革に着手することになった京都市は、ついに大英斷を下す。それは慢性的な渋滯に悩まされる目抜き通り・四條通の車線を「あえて」削減し、「逆に」歩道を拡幅するという、まさに「その発想はなかった」という歩道拡幅事業であった。

最早因為京都著名的交通堵塞,為了解決這個長期存在的問題,京都做出重大決定要對城市交通進行徹底改革。這個“英明決策”就是“不可能的想法”的人行道拓寬工程,把受慢性擁堵困擾的主幹大街、四條大街的行車線“故意”減少,“反而”拓寬人行橫道。

四條通の主役は「外國人観光客」に

四條大街的主要任務是承接“外國遊客”


當然といえば當然なのであるが、その結果、當初は悪夢のような大渋滯と大混亂を引き起こすことになり、京都市のこの歩道拡幅事業の顚末を「“世紀の愚策”か」と書き立てる新聞記事まで出るほどの事態となった。

這是理所當然的,但結果最初卻引發了噩夢般的大堵車和大混亂,甚至出現了有記者把京都市的人行道拓寬事業寫成“世紀愚蠢決策?”這樣的情況。

しかし、結果的には、この「英斷」によって京都の目抜き通りの主役が見事に交代することとなった。車線を減らすことで、四條通は自動車にとって「不便な道」になった。そのおかげで、これまで通りをわが物顔に佔拠していたマイカーたちをこの目抜き通りから遠ざけることに成功したのである。

但是,結果是因為這個“英明決斷”京都的主幹大街的主要作用完美被改變了。因為車道減少,四條大道已成為汽車的“不便之路”。拜其所賜,此前都將街道佔為己有的小汽車成功地遠離了大道。

そして代わりに新たな主役たちがこの四條通にやってくることになった。新しい主役たちはカラフルなリュックサックを背負い、巨大なキャリーケースを転がしながらやってきた。道いっぱいの外國人観光客たちである。

取而代之的是新的主力來到了四條大街。新主人揹着五顏六色的揹包,提着巨大的手提箱。滿大街的外國遊客。

この歩道拡幅が行われたのは2015年。これは外國人観光客による「爆買い」が流行語となり、45年ぶりに訪日外國人旅行者數が出國日本人旅行者數を上回った年である。そして、世界で最も影響力があるといわれるアメリカの旅行雑誌『トラベル+レジャー』において、バルセロナ、ローマ、フィレンツェなどキラ星のような世界的観光都市を押さえて、2年連続で京都が人気観光都市ナンバー・ワンに選ばれた年でもある。

人行道是在2015年拓寬的。這一年外國遊客的“爆買”成了流行語,時隔45年訪日外國遊客數首超出國日本遊客。並且,在世界上最有影響力的美國旅遊雜誌《Travel+Leisure》中,京都力壓巴塞羅那、羅馬、佛羅倫薩等世界一流的旅遊城市,連續兩年成為最熱門的旅遊城市。

つまり四條通の主役交代劇は、世界的な京都観光ブームの盛り上がりと、奇跡とも必然ともいえる絶妙なタイミングでシンクロした出來事だったのである。これは京都にとって象徴的な転換點といえるだろう。

換句話説,四條大街的主角改變劇與全球京都旅遊熱潮的興起,在可以説是奇蹟般的亦或是必然的絕妙時間點上完美同步。這是京都的象徵性的轉折點。

京都は今や「史上空前の観光ブーム」

京都現在是“前所未有的旅遊熱”

この四條通は京都の中心部であり、京都駅に次ぐ交通の要衝である。今や通り自體が大きなバスターミナルの様相を呈し、多くのバス停のルーフが軒を連ね、そろいのゼッケンをつけた係員に誘導されながら、長い行列に並んだ大荷物の観光客たちが次々にバスの中に吸い込まれていく。ひっきりなしにバスはやってくるが、運んでも、運んでも、運ばれるために集まってくる観光客の行列は絶えない。

四條大街是京都的中心,是京都站之外主要的交通樞紐。街道本身現在已經像是大型巴士總站一樣,許多巴士站的屋頂都排成一排,工作人員帶着統一的號碼布,帶着大件行李的遊客排着長長的隊伍被吸進公交車。公交車不間斷地行駛,運輸着、運輸着,為乘車而聚集起來的遊客隊伍綿綿不絕。

窓越しにバスの車內をのぞくと、ラッシュアワーでなくとも立錐の餘地もないすし詰めである。そうして毛細血管を走る赤血球のように京都の隅々にまで観光客を送り込んでいく。

透過窗户往公交車內看去,即使不是高峯時間,也沒有足夠的立錐之地。然後,遊客像紅血球通過毛細管一樣被送到京都的每個角落。

「乗れないし、1度乗ったら降りられない」そんなふうにもいわれるバスの混雑と、それをさばく手際のよさ。京都の顔・四條通は、今や史上空前の観光ブームに立ち向かう京都の奮闘ぶりが垣間見られるスポットの1つとなっている。

“擠不上車,上車以後也下不來”這樣擁擠的公交車,應對起來的手腕高明。從京都的門面四條大街可以一窺面對史上空前的旅遊熱而奮鬥的京都。

とはいえ、歩道を歩いていると、人の波である。たった數年前までは歩道の幅がこの半分ほどしかなかったことなど、今となっては到底信じることはできない。

然而,在人行道上一走,就會發現人潮。僅僅數年前人行道是現在的一半寬,現在是無論如何無法相信的。

「歩いて楽しめる」という京都市の掲げたコンセプトどおり街を楽しみながらゆったり歩く観光客たちを(視界の死角から膝を攻めてくる彼らのキャリーケースに注意しつつ)追い抜き、すり抜けながら、懐かしの縦スクロール・シューティングゲームのように進んでいくことになる。

“步行享受”這個京都提倡的概念,遊客們遵循此概念享受街道慢慢行走。你要(一邊注意他們從視線的盲點向膝蓋處延伸的旅行箱)追趕、趕超他們,得像滾動射擊遊戲一樣前進。

四條河原町の交差點を渡って鴨川を目指す。そうすると次第に歩道の幅は狹くなり、すり抜けも追い抜きも困難になる。なすすべもなく、ただ人波に流されるまま東へと運ばれていく。

越過四條河原町十字路口,前往鴨川。然後,人行道的寬度逐漸變窄並且變得難以超過別人。沒有任何辦法,只能被人流帶着向東走。

京都を代表する近代建築であり、森見登美彥の『夜は短し歩けよ乙女』で全國の文化系男女に広く知られるところとなる東華菜館の美麗きわまる玄関の前を素通りすると、四條大橋にさしかかる。

東華菜館是京都有代表性的近代建築,因森美富彥的《春宵苦短,少女前進吧》在全國文藝青年中廣為人知。經過東華菜館的美麗玄關後,就到了四條大橋。

夏に先鬥町(ぽんとちょう)のお店が出す川牀と河川敷に等間隔で座るカップルが名物である鴨川にかかる橋である。「ああ、川面を走る風が気持ちいい」などと思いながらも、鴨川をバックに肩を寄せ合う観光客の自撮り棒をわれながら慣れた身のこなしで避けつつ対岸を目指す。

夏天時,開着先鬥町小店的河牀與岸邊等間隔坐着的情侶是鴨川河上這座橋的名產。想着“啊,河上的風好舒服”,還得熟練躲開揹着旅行包舉着自拍杆擠滿鴨川的遊客向對岸走。


このまま川端通を越えると歩道に地元住民らしき人の姿はぐっと少なくなり、歩道沿いの商店もお土産物屋や観光客向けの飲食店がほとんどになる。「観光客が多くておっくうな」四條通もこの辺りまで來ると、「観光客が多い」どころではなく、ほぼ「観光客の道」となる。

這樣穿過河邊人行道上本地人樣子的人一下子減少了,人行道上幾乎全是商店、特產店和麪向遊客的飲食店。“遊客好多好麻煩”四條大街到了這邊已經不是“遊客多”,幾乎成了“遊客的路”。

舞妓さんに伸びる「怪しげな手」

伸向舞妓的“怪手”


そして京都を代表する花街として有名な祇園に差し掛かると、時代劇でよく見かける高札のような看板が目に入る。歩き煙草禁止やゴミ捨ての注意などが示されており、外國人観光客に対してマナー周知のための「御觸書」ということなのだろうとわかる。そしてとくに印象的なのが舞妓さんに伸びる怪しげな手である。

到了代表京都花街的有名的祇園,時代劇中常見的像“高札”一樣的看板映入眼簾。禁止走路吸煙,扔垃圾的警示牌等作為對外國遊客的禮儀提醒的“御觸書”隨處可見。尤其令人印象深刻的是伸向舞妓的怪手。

この辺りは、舞妓さんや芸妓さんが座敷を行き來するお茶屋さん、そして彼女たちが寢起きする屋形がある地區であり、この花見小路はいわゆる京都五花街といわれるうち最大の花街である祇園甲部のメインストリートである。とくに景観の整備された南側を中心にここ數年は多くの観光客でにぎわう通りだ。

這一帶有舞妓、藝妓們穿梭於座位間的茶屋和她們住宿的官邸,這兒的花見小路是京都五花街中最大的花街祇園甲部的主街。特別是景觀非常規整的南側,近年來很多遊客來,這裏非常熱鬧。

しかし、聞くところによると観光客による舞妓さんへの迷惑行為が問題化しているという。

但是,據説遊客給舞妓帶來的麻煩正成為問題。

この界隈に外國人観光客が押し寄せるようになったのは5年ほど前、2014年前後からとのこと。その頃から単なる人の多さのせいだけにはできないトラブルが數多く起きているようだ。

外國遊客開始來到這裏是在5年前,2014年左右。從那時起,單單因為人多而引發的麻煩就有很多。

日が落ちる頃、舞妓さんたちはそれぞれ呼ばれたお座敷へと向かう。よく見てみると舞妓さんや芸妓さんの名札がかけられた屋形の前に、カメラやスマホを持った外國人観光客が人だかりをつくっている。どうやらここから舞妓さんが「出動」することがわかって待ち受けているらしい。

日落時分,舞妓們開始前往各自被叫去的房間。如果仔細觀察,掛着舞妓、藝妓名牌的官邸前面,全是手持相機、手機的外國遊客。顯然是他們知道舞妓要從這裏“出動”,在這兒等待。

また通りを見ていると、10センチ以上もの高さになるおこぼ(下駄の一種)を履いた舞妓さんが駆け抜けるように歩いていくのを(忙しい彼女たちはとにかく歩くのが速い)、24時間テレビのマラソン中継さながらに並走しながら動畫を撮影している観光客も1人や2人ではない。

另外,看一下街道上,舞妓穿着10釐米以上高的厚底鞋(木屐的一種)疾步前行(忙碌的她們步子很快),不止一個兩個的遊客們24小時電視馬拉松直播一樣和她們並排進行拍攝。

そしてタクシーが止まるたびに、今度こそは舞妓さんが乗り降りするのではないかと期待した観光客が集まってきてタクシーを囲み、バシャバシャとシャッターを切る。

每當出租車停下來的時候,遊客們期待是不是這次有舞妓上下車,趕緊圍住出租車,咔嚓咔嚓按快門。

花街とはそもそもどのような場所であったかを知っている人間からすると、あぜんとするような光景である。こんなふうに舞妓さんを執拗に追いかける観光客たちの様子を見た誰かがこう言ったらしい。

在知道花街原本是什麼場所的人看來,這一場景非常令人吃驚。好像有個人看到遊客們這麼執念地追舞妓説:

「まるでパパラッチじゃないか」

“這不就像狗仔隊一樣嗎?”

近年、祇園で問題となっているのが、このような舞妓さん目當ての外國人観光客による數々のマナー違反行為である。

近年來,在祇園把舞妓當做目標的外國遊客的各種各樣的違反禮儀的行為已經成為了問題。

無遠慮な撮影攻勢に始まり、聲かけ、着物にさわる、カメラやスマホを向けてのつきまといなどその種類はさまざまであるが、いつしか、これら舞妓さんを襲う外國人観光客のマナー違反行為の數々を総稱して「舞妓パパラッチ」と呼ぶようになった。さきほどの高札が警告していたのは、このような、舞妓パパラッチに対する注意喚起なのである。

毫不顧忌的拍照攻勢、搭訕、觸碰和服、相機手機的糾纏等各種各樣,不知道什麼時候起,這些侵襲舞妓的外國遊客的違反禮儀的種種行為被稱為“舞妓狗仔隊”。剛才講的“高札”提示警告的,就是對這種舞妓狗仔隊的提醒。

舞妓さんの着物を破られた、衿元に煙草の吸殻を投げ入れられたなど、にわかには信じられないようなひどい話を耳にする機會も増えた。この界隈に押し寄せている外國人観光客たちの存在は、彼女たちにとってもはや迷惑どころか「危険」な存在になっているといえるだろう。

劃破舞妓的和服,往領口裏彈煙灰等這種乍一聽沒法相信的事,傳進耳朵裏的機會也在增加。這一帶湧入的外國人對她們來説豈止是麻煩,可以説是“危險”的存在。

舞妓さんも「生身の人間」だ

舞妓也是“肉身的人”

もともと歴史的景観地區として花街らしさを生かすように整備され、伝統的な花街の風情を殘す建物が並ぶ通りなのだが、通りを埋め盡くしてわが物顔で座り込んだり舞妓を追いかけているのは花街には場違いな観光客たちである。

最初道路是作為歷史景區為保留花街特色而修繕的,並且道路兩側也是保留傳統花街風情的建築。但是,現在是那些塞滿整個街道的、一幅霸佔像的遊客坐着不走或追趕舞妓。

例えばディズニーランドは、セットからスタッフまで完璧に統一された世界観を構築していることで有名だが、あの空間で唯一、ディズニーの世界観に合致していない場違いな存在は客である。祇園・花見小路の町並みと、通りを埋め盡くすカジュアルな観光客たち。このちぐはぐさを見ていると、まるで自分がテーマパークの一角にいるような錯覚を覚える。

例如迪士尼樂園以構建的統一世界觀而聞名,從場景到員工完美的處在這個統一的世界觀之下。但在那個空間下,唯一與迪士尼世界觀不合的就是遊客。這種不一致感會讓自己產生一種處在主題公園一角的錯覺。

はるばる京都まで非日常を體験しに來た彼らも、自分が今テーマパークにいるように感じているのかもしれない。ディズニーランドでミッキーの登場を待つように、彼らはこの通りで舞妓さんの「登場」を待っているのかもしれない。

遊客們遠道而來在京都體驗非日常生活,結果可能會有種在主題公園的感覺。他們就像在迪士尼樂園等米奇登場一樣,在這條街道等待舞妓的“登場”。

しかし、京都で暮らす人々にとってこの街は生活の場であり、日常であり、紛れもない現実である。日々の暮らしのなかで、晝夜を問わず「舞妓パパラッチ」の猛威にさらされる彼女たちは、テーマパークで客を楽しませる着ぐるみのキャストではない。ここで仕事をし、生活をしている生身の人間なのである。

但是,對於在京都生活的人來説,這條街道是生活的場所,是日常,是不容置疑的現實。她們在日常的生活中,不論白天黑夜遭受着“舞妓狗仔隊”的狂轟亂炸,但她們不是主題公園裏讓遊客開心的人偶演員。她們是在這裏工作、生活的活生生的人。

本內容為滬江日語原創翻譯,嚴謹轉載。

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